2011年05月09日
旅行記~奥会津・裏磐梯~ #2
旅の二日目。静かな朝を迎えた。
隣のサイトのバイカー達は僕らが朝食を作り終える前に撤収を終え出発していた。
鳥さんと今後のスケジュールについて打ち合わせ。といってもお互い明確に目的地などは決めておらず、それぞれが出した答えは『俺あっち方面、じゃあ俺はどっち方面』と、そんなノリだ。
「ではでは、今度は裏磐梯方面で会いましょう」ってな感じで鳥さんはバイクで颯爽と旅立って行った。・・・・鳥なのにバイク。
ワタクシは来た道を戻り再び会津山村道場駅へ。列車の時刻表は一時間に一本ペースだが、程なく来た会津若松行きの鈍行に乗った。
会津若松市・・・人口約12万人の会津地方の都市。江戸時代には会津藩の城下町として栄え、民芸品の赤べこが有名。
こう見えてもワタクシは割りと保守的な性格だったりして、もし幕末に生まれた武士だったのなら恐らく幕府側に就いたんだろーなと、思ったり。なので松平容保公に拝謁すべく、行ってきた。
若松城(通称:鶴ヶ城)
始まりは1300年代らしい。1611年(慶長16年)の会津地震の際に天守が壊れたが復活。そしてあの1868年(慶応4年)の会津戦争において会津藩士はこの城に篭城し、一ヶ月もの間持ちこたえたのはあまりにも有名。
その戦火を飯盛山から見た白虎隊が城が燃えているものと見間違え、自刃したという悲劇はあるが、度重なる災害、戦火にも耐えた会津の城、人は今回の災害からもきっと立ち直り、その歴史に復興という文字を刻むに違いない。
この時、ちょうど桜が「これでもか!」と言わんばかりに満開。
明治になり一度解体された鶴ヶ城だが、1960年に復元されさらには2010年に黒瓦から元の姿の赤瓦に葺き替えられた。
桜も手伝ってか、この日は雨天にも関わらず観光客で賑わい、活気に溢れていた。うむ!
隣のサイトのバイカー達は僕らが朝食を作り終える前に撤収を終え出発していた。
鳥さんと今後のスケジュールについて打ち合わせ。といってもお互い明確に目的地などは決めておらず、それぞれが出した答えは『俺あっち方面、じゃあ俺はどっち方面』と、そんなノリだ。
「ではでは、今度は裏磐梯方面で会いましょう」ってな感じで鳥さんはバイクで颯爽と旅立って行った。・・・・鳥なのにバイク。
ワタクシは来た道を戻り再び会津山村道場駅へ。列車の時刻表は一時間に一本ペースだが、程なく来た会津若松行きの鈍行に乗った。
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会津若松市・・・人口約12万人の会津地方の都市。江戸時代には会津藩の城下町として栄え、民芸品の赤べこが有名。
こう見えてもワタクシは割りと保守的な性格だったりして、もし幕末に生まれた武士だったのなら恐らく幕府側に就いたんだろーなと、思ったり。なので松平容保公に拝謁すべく、行ってきた。
若松城
若松城(通称:鶴ヶ城)
始まりは1300年代らしい。1611年(慶長16年)の会津地震の際に天守が壊れたが復活。そしてあの1868年(慶応4年)の会津戦争において会津藩士はこの城に篭城し、一ヶ月もの間持ちこたえたのはあまりにも有名。
その戦火を飯盛山から見た白虎隊が城が燃えているものと見間違え、自刃したという悲劇はあるが、度重なる災害、戦火にも耐えた会津の城、人は今回の災害からもきっと立ち直り、その歴史に復興という文字を刻むに違いない。
この時、ちょうど桜が「これでもか!」と言わんばかりに満開。
明治になり一度解体された鶴ヶ城だが、1960年に復元されさらには2010年に黒瓦から元の姿の赤瓦に葺き替えられた。
桜も手伝ってか、この日は雨天にも関わらず観光客で賑わい、活気に溢れていた。うむ!
この若松城、会津若松駅からはバスかタクシーを使うと良い。
ちなみにワタクシは駅でこんげなもんを借りてみた。
←トレン太くんサイクル26号 2時間500円ナリ。
持ち前のV8大腿筋と電動アシスト装置で驚異的な加速を実現するも、女子高生の集団を横切る時はちょっと恥ずかしいカゴのロゴマークだったりする。
ちなみにワタクシは駅でこんげなもんを借りてみた。
←トレン太くんサイクル26号 2時間500円ナリ。
持ち前のV8大腿筋と電動アシスト装置で驚異的な加速を実現するも、女子高生の集団を横切る時はちょっと恥ずかしいカゴのロゴマークだったりする。
つづく
Posted by バードメン at 22:20│Comments(0)
│旅行記
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