2011年10月29日
だれかここで俺と暮らさないか
あの暑かった夏の勢いも収まった秋の日、束の間の休暇を頂きましてちょいと東北地方への足を運んで参りました。
岩手県は遠野市。



遠野へ立ち寄ったのは何年ぶりでしょうか。
特になんの派手さもない田園風景のこの場所なのでありますが、ワタクシにとっては特別な場所なのであります。いや別になにがあったわけではないのだけれど、昔からの人々の暮らしがこの景色を形成しているような、このピュアでシンプルで飾りっ気のない歴史と生活サイクルがなんとも言えず好きなのであります。
そうそう、こんなのもありました。

『でんでら野』
まあ俗に言う姥捨て山ですな。
人は齢60を過ぎるとこの場所に捨てられ、昼間は里におりて農作業を手伝い僅かな食料を得てこの場所の小屋に戻り寄り添うように暮らしながら生命が尽きるのを静かに待ったそうです。
んー。年金問題であーだこーだ言っているうちはまだいい方なのかも知れませんな。
市街地から離れ、ちょいとお山の方へ行きますと・・・

うしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしう・・・・し。

「なんだおめえ、見ねえツラだな」
って言いながらオシャレなピアスを耳につけた若い牛が近寄ってきたと思ったら、

岩手県は遠野市。



遠野へ立ち寄ったのは何年ぶりでしょうか。
特になんの派手さもない田園風景のこの場所なのでありますが、ワタクシにとっては特別な場所なのであります。いや別になにがあったわけではないのだけれど、昔からの人々の暮らしがこの景色を形成しているような、このピュアでシンプルで飾りっ気のない歴史と生活サイクルがなんとも言えず好きなのであります。
そうそう、こんなのもありました。

『でんでら野』
まあ俗に言う姥捨て山ですな。
人は齢60を過ぎるとこの場所に捨てられ、昼間は里におりて農作業を手伝い僅かな食料を得てこの場所の小屋に戻り寄り添うように暮らしながら生命が尽きるのを静かに待ったそうです。
んー。年金問題であーだこーだ言っているうちはまだいい方なのかも知れませんな。
市街地から離れ、ちょいとお山の方へ行きますと・・・

うしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしう・・・・し。

「なんだおめえ、見ねえツラだな」
って言いながらオシャレなピアスを耳につけた若い牛が近寄ってきたと思ったら、

「おれの手は牧草じゃない」
おしまい
2011年05月22日
旅行記~奥会津・裏磐梯~ 最終回
正直、今回のこの旅をするにあたって、行こうか行くまいか悩んだ部分がある。
放射線云々に関して言えば、何ら心配するような数値ではない。では何に悩んだか?それは行った先で避難されている方々がいるのではないか?という心配だった。どんな理由があるにせよ『そこに遊びに行く』という事にかわりはない。
しかし思っていた以上に行く先々で歓迎されたのと、現地の方々と会話をしているうちにその心配はどこかに吹き飛んでいた。
会津鉄道の観光トロッコ列車の車内。鯉のぼりと桜の飾りつけがされており、風に乗って元気に泳いでいた。
テレビやネットの情報だけでは、行きたくても実際行っていいのか?行っても迷惑じゃないのか?という情報まではなかなか伝わってこない。しかし現地では観光客を迎え入れる準備は万端だった。
あちこちで見られる『がんばろう!』の文字。ただ風評被害・自粛ムードによる客足不足に関しては、現地の方々の頑張りだけでは打開できない問題なのだ。よそ者の僕らが正確な情報を見極め判断し、行動しなくてはならない。
この時、会津地方では桜が満開だった。
今頃は眩しいほどの新緑が東北の大地を彩る頃だろう。入梅前にもう一度、静かな湖畔にテントを張り、暖か味のある雄大な東北の景色を満喫したいところだ。
おしまい
2011年05月15日
旅行記~奥会津・裏磐梯~ #3
車窓から望む磐梯山。その堂々たる山容と一面に広がる田園風景はそれだけで一見の価値がある。
会津若松から磐越西線の郡山行きに乗り数十分ほどで猪苗代駅に着く。
(徒歩による旅の際、猪苗代から裏磐梯方面へ一時間に一本ペースで路線バスが出ているので、それを利用するとよい。)
一足先に猪苗代に到着していた鳥さんと再会、近くのスーパーで買出しの後、裏磐梯までバイク旅。
※懸念されていた食料事情だが、商店には至って豊富な商品が陳列されていた。しかも安い!
←この『焼肉セット』がなんと1000円ポッキリ!
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2011年05月09日
旅行記~奥会津・裏磐梯~ #2
旅の二日目。静かな朝を迎えた。
隣のサイトのバイカー達は僕らが朝食を作り終える前に撤収を終え出発していた。
鳥さんと今後のスケジュールについて打ち合わせ。といってもお互い明確に目的地などは決めておらず、それぞれが出した答えは『俺あっち方面、じゃあ俺はどっち方面』と、そんなノリだ。
「ではでは、今度は裏磐梯方面で会いましょう」ってな感じで鳥さんはバイクで颯爽と旅立って行った。・・・・鳥なのにバイク。
ワタクシは来た道を戻り再び会津山村道場駅へ。列車の時刻表は一時間に一本ペースだが、程なく来た会津若松行きの鈍行に乗った。
会津若松市・・・人口約12万人の会津地方の都市。江戸時代には会津藩の城下町として栄え、民芸品の赤べこが有名。
こう見えてもワタクシは割りと保守的な性格だったりして、もし幕末に生まれた武士だったのなら恐らく幕府側に就いたんだろーなと、思ったり。なので松平容保公に拝謁すべく、行ってきた。

若松城(通称:鶴ヶ城)
始まりは1300年代らしい。1611年(慶長16年)の会津地震の際に天守が壊れたが復活。そしてあの1868年(慶応4年)の会津戦争において会津藩士はこの城に篭城し、一ヶ月もの間持ちこたえたのはあまりにも有名。
その戦火を飯盛山から見た白虎隊が城が燃えているものと見間違え、自刃したという悲劇はあるが、度重なる災害、戦火にも耐えた会津の城、人は今回の災害からもきっと立ち直り、その歴史に復興という文字を刻むに違いない。

この時、ちょうど桜が「これでもか!」と言わんばかりに満開。
明治になり一度解体された鶴ヶ城だが、1960年に復元されさらには2010年に黒瓦から元の姿の赤瓦に葺き替えられた。
桜も手伝ってか、この日は雨天にも関わらず観光客で賑わい、活気に溢れていた。うむ!
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隣のサイトのバイカー達は僕らが朝食を作り終える前に撤収を終え出発していた。
鳥さんと今後のスケジュールについて打ち合わせ。といってもお互い明確に目的地などは決めておらず、それぞれが出した答えは『俺あっち方面、じゃあ俺はどっち方面』と、そんなノリだ。
「ではでは、今度は裏磐梯方面で会いましょう」ってな感じで鳥さんはバイクで颯爽と旅立って行った。・・・・鳥なのにバイク。
ワタクシは来た道を戻り再び会津山村道場駅へ。列車の時刻表は一時間に一本ペースだが、程なく来た会津若松行きの鈍行に乗った。
◆
会津若松市・・・人口約12万人の会津地方の都市。江戸時代には会津藩の城下町として栄え、民芸品の赤べこが有名。
こう見えてもワタクシは割りと保守的な性格だったりして、もし幕末に生まれた武士だったのなら恐らく幕府側に就いたんだろーなと、思ったり。なので松平容保公に拝謁すべく、行ってきた。
若松城
若松城(通称:鶴ヶ城)
始まりは1300年代らしい。1611年(慶長16年)の会津地震の際に天守が壊れたが復活。そしてあの1868年(慶応4年)の会津戦争において会津藩士はこの城に篭城し、一ヶ月もの間持ちこたえたのはあまりにも有名。
その戦火を飯盛山から見た白虎隊が城が燃えているものと見間違え、自刃したという悲劇はあるが、度重なる災害、戦火にも耐えた会津の城、人は今回の災害からもきっと立ち直り、その歴史に復興という文字を刻むに違いない。
この時、ちょうど桜が「これでもか!」と言わんばかりに満開。
明治になり一度解体された鶴ヶ城だが、1960年に復元されさらには2010年に黒瓦から元の姿の赤瓦に葺き替えられた。
桜も手伝ってか、この日は雨天にも関わらず観光客で賑わい、活気に溢れていた。うむ!
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2011年05月07日
旅行記~奥会津・裏磐梯~ #1
毎日毎日引っ切り無しで流れる震災関連の報道。その中にあって福島県の観光事情に関する報道は薄い気がした。
福島県には観光という産業で成り立っている自治体も多く、このGWにおいては掻き入れ時のはずであり、観光客が来なくては復興の第一条件とも言うべき経済が成り立たないのである。
復興支援・・・と言っては随分とおこがましいのかも知れないが、自分だからこそできる事はないのかな?を考えた時、自然豊かな会津の地を巡り、実際にそこに泊まり、空気を感じ、人と接し、帰ってありのままのレポを発信する。そしてこの記事を読んでくれた人が「行っても大丈夫なんだ。行ってみたい!」と思ってくれるのであれば、アウトドア愛好家として、ブロガーとして、これほど嬉しい事はない。
そんな事を考えつつ、70Lのザックにあらゆる装備を詰め込み、家を出た。
横浜の自宅から都内を抜け、東武伊勢崎線、鬼怒川線、野岩(やがん)鉄道、会津鉄道を乗り継ぎ福島県に入る。

陽が西に傾きかけた時刻、二両編成の電車を降りた。

長閑な田園風景が広がる中にポツンと佇む会津山村道場駅。なかなかの秘境駅である。もちろん無人。


とても静かな山村の風景。ぱっと見た感じだと震災による被害は見受けられない。
そして気になるこの時の放射線量は、一番近くの会津若松市のモニタリングで0.160μsv/hだった。なんら人体に影響のある数値ではないらしい。むしろ都会の喧騒の風景を見ている方が、精神衛生上よろしくない。そんなふうに思えてくる。
国道を越え、橋を渡り、山道を少し登ったところにキャンプ場があるはずだ。
もうすぐ日暮れ。今夜の寝床を確保すべく、近くの個人商店でビールとつまみを購入し、キャンプ場を目指す事とした。
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福島県には観光という産業で成り立っている自治体も多く、このGWにおいては掻き入れ時のはずであり、観光客が来なくては復興の第一条件とも言うべき経済が成り立たないのである。
復興支援・・・と言っては随分とおこがましいのかも知れないが、自分だからこそできる事はないのかな?を考えた時、自然豊かな会津の地を巡り、実際にそこに泊まり、空気を感じ、人と接し、帰ってありのままのレポを発信する。そしてこの記事を読んでくれた人が「行っても大丈夫なんだ。行ってみたい!」と思ってくれるのであれば、アウトドア愛好家として、ブロガーとして、これほど嬉しい事はない。
そんな事を考えつつ、70Lのザックにあらゆる装備を詰め込み、家を出た。
横浜の自宅から都内を抜け、東武伊勢崎線、鬼怒川線、野岩(やがん)鉄道、会津鉄道を乗り継ぎ福島県に入る。
陽が西に傾きかけた時刻、二両編成の電車を降りた。
長閑な田園風景が広がる中にポツンと佇む会津山村道場駅。なかなかの秘境駅である。もちろん無人。
とても静かな山村の風景。ぱっと見た感じだと震災による被害は見受けられない。
そして気になるこの時の放射線量は、一番近くの会津若松市のモニタリングで0.160μsv/hだった。なんら人体に影響のある数値ではないらしい。むしろ都会の喧騒の風景を見ている方が、精神衛生上よろしくない。そんなふうに思えてくる。
国道を越え、橋を渡り、山道を少し登ったところにキャンプ場があるはずだ。
もうすぐ日暮れ。今夜の寝床を確保すべく、近くの個人商店でビールとつまみを購入し、キャンプ場を目指す事とした。
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2010年05月09日
秘境駅'10 #4
前回の続き。
遂に幻の秘境駅ともいえる遺跡に辿りついた。しかしこれでは貪欲な探究心が収まらない。
ワンダーハンティングの旅はまだまだ続くのだ!
次なるターゲットはとある農村地帯にあるという。
束の間の休憩を取り、僅かばかりの情報を頼りに歩を進めた。
山岳地帯の麓の駅に辿り着き、さらにそこから列車に揺られる事約一時間、そこには古き良き日本の原風景が広がっていた。こんな休日にも関わらず人々は畑で汗を流しており、その光景を見る限りこんな平和そのものの場所にワタクシが求めているワンダーなターゲットが存在するのか?と、少し疑わしくなってくる。
と、その時だった。
この風景同様、長閑な気分で歩くワタクシの眼前に突然現れた謎の物体。というか物件。

■トマソンとは・・・
心の師と仰ぐ赤瀬川源平氏発見の芸術的概念。無用物件の意。名は元野球選手ゲーリー・トマソンに由来する。詳しくはコチラ。←クリック。
なぜ山もないこんな場所にこんなトンネルが・・・不思議である。
調べてみると意外な発見があった。長さ11m、幅5mのこのトマソン、以前この場所には林業など資材運搬用の索道(所謂ロープウェイ的なヤツ)が線路と交差する形で設置されており、ちょうど線路がポイントだった事もあり、こうしたトンネルを建設したのだ。現在では既にその索道は撤去され、結果このトンネルだけが残っている。という話。

別角度から....やっぱ不思議だ。
ちなみにこのトマソン、現在日本一短いトンネルとして一部のマニアの間では有名らしい。

最寄駅は未だ昭和が漂う静かな農村地帯にあります。
いやいや、今度もなかなか中身の濃い旅でございました。ワンダー!
遂に幻の秘境駅ともいえる遺跡に辿りついた。しかしこれでは貪欲な探究心が収まらない。
ワンダーハンティングの旅はまだまだ続くのだ!
次なるターゲットはとある農村地帯にあるという。
束の間の休憩を取り、僅かばかりの情報を頼りに歩を進めた。
山岳地帯の麓の駅に辿り着き、さらにそこから列車に揺られる事約一時間、そこには古き良き日本の原風景が広がっていた。こんな休日にも関わらず人々は畑で汗を流しており、その光景を見る限りこんな平和そのものの場所にワタクシが求めているワンダーなターゲットが存在するのか?と、少し疑わしくなってくる。
と、その時だった。
この風景同様、長閑な気分で歩くワタクシの眼前に突然現れた謎の物体。というか物件。
ワンダー、というよりトマソン。
■トマソンとは・・・
心の師と仰ぐ赤瀬川源平氏発見の芸術的概念。無用物件の意。名は元野球選手ゲーリー・トマソンに由来する。詳しくはコチラ。←クリック。
なぜ山もないこんな場所にこんなトンネルが・・・不思議である。
調べてみると意外な発見があった。長さ11m、幅5mのこのトマソン、以前この場所には林業など資材運搬用の索道(所謂ロープウェイ的なヤツ)が線路と交差する形で設置されており、ちょうど線路がポイントだった事もあり、こうしたトンネルを建設したのだ。現在では既にその索道は撤去され、結果このトンネルだけが残っている。という話。
別角度から....やっぱ不思議だ。
ちなみにこのトマソン、現在日本一短いトンネルとして一部のマニアの間では有名らしい。
最寄駅は未だ昭和が漂う静かな農村地帯にあります。
いやいや、今度もなかなか中身の濃い旅でございました。ワンダー!
おしまい
2010年05月07日
秘境駅'10 #3
前回の続き。
誰も知らない秘密の場所でのんびり過ごすのもいい。
しかし『秘境駅』と銘打つからには、ちとアドベンチャーな要素も必要なのだ。
3日目の朝、ここを発つ事を決めパッキング開始。
平和な日々を過ごした仲間達に別れを告げ、一人また歩き始めるのだ。
新緑の匂いプンプンの山道をテクテク歩くとダム発見。

降りて間近で見てみる。

この圧倒的な巨大さとエネルギーを目の当たりにし、しばし見とれるので
ございます。
いやいやこうしてはおれんのだ。先を目指すのだ。
で、またテクテク歩き出す。
このダムができる以前は、この水面の下にも集落がありそこで人が営んでいた。
ウワサではこの辺りにはその当時運行されていた鉄道の廃線が今なおあるというのだ。
おぉ、これだ。ついに発見したぞ。

軌道こそないものの、これはまさしく当時の鉄道のトンネル。
バックリと開いたその口からは、ヒンヤリとした異世界からの風が吹いてきている。
ザックの天蓋からヘッデンを取り出し装備。脳内ipodからは水曜スペシャルのテーマがエンドレスリピートなのだ。
意を決して中へ入る。この廃線トンネルの中に何が待ち受けているのか?この漆黒の闇のその先に広がる世界とは一体・・・・・
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誰も知らない秘密の場所でのんびり過ごすのもいい。
しかし『秘境駅』と銘打つからには、ちとアドベンチャーな要素も必要なのだ。
3日目の朝、ここを発つ事を決めパッキング開始。
平和な日々を過ごした仲間達に別れを告げ、一人また歩き始めるのだ。
新緑の匂いプンプンの山道をテクテク歩くとダム発見。
降りて間近で見てみる。
この圧倒的な巨大さとエネルギーを目の当たりにし、しばし見とれるので
ございます。
いやいやこうしてはおれんのだ。先を目指すのだ。
で、またテクテク歩き出す。
このダムができる以前は、この水面の下にも集落がありそこで人が営んでいた。
ウワサではこの辺りにはその当時運行されていた鉄道の廃線が今なおあるというのだ。
おぉ、これだ。ついに発見したぞ。
軌道こそないものの、これはまさしく当時の鉄道のトンネル。
バックリと開いたその口からは、ヒンヤリとした異世界からの風が吹いてきている。
ザックの天蓋からヘッデンを取り出し装備。脳内ipodからは水曜スペシャルのテーマがエンドレスリピートなのだ。
意を決して中へ入る。この廃線トンネルの中に何が待ち受けているのか?この漆黒の闇のその先に広がる世界とは一体・・・・・
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2010年05月06日
秘境駅'10 #2
前回の続き。
気の置けない仲間達との夜は過ぎるのが早い。日付が過ぎたあたりで新月から数えて16番目の月が山の稜線上を照らし始める。
次の日は周辺散策。
←こんなトコや
←こんなトコや
←こんなモン喰って
一日がなんとなく暮れていく。
そうそう、サイトへ帰る途中、地元の中学生三人に挨拶された。
一昨年の冬に高千穂で中学生と挨拶したのを思い出す。
旅先で地元の人との会話は自分が日本人であるという事を再認識させられる。腐っているのはほんの一部だけで、まだまだこの国は捨てたもんじゃないのだ。
こんなにも平和な一日は久しぶりだ。
あんまり居座ってしまうと根っこが生えそうだから、明日はちょっと冒険するのだ。
つづく
2010年05月05日
秘境駅'10 #1
やっぱり遊びの選択肢が広ければ広いほど人ごみとは無縁なサンクチュアリに辿り着く事ができるのだ。

思春期の噎せ返るような新緑のニホヒの中を列車は進む。
で、とある街にて途中下車。バックパッカーたるもの歩かんでどうする。
さっそく第一ワンダー発見。

「大きく育て」というよりも「たくさん育て」。この時世ならではなんだろうな。うん。
そんなこんなでテクテク歩いていると早速職務質問。グヘ。
「入山届けは必ず出してネ」とさわやかな笑顔に見送られつつ、先を目指すのでした。
そうだ、今回はあの山を目指すのだ!
確かに届けは出しといた方が良さそうだ・・・ある意味。
古き良き日本の原風景の中を歩いていたが、5月の陽気とは思えない灼熱の太陽とアスファルトの照り返しがキツく、ついつい楽がしたくなって列車に乗った。

←走れ走れー!
そして誰も知らない秘密のサンクチュアリに到着。
そしてあの山・・・戯山氏とも無事合流、後からやってきたガールズとも合流を果たしたのである。

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思春期の噎せ返るような新緑のニホヒの中を列車は進む。
で、とある街にて途中下車。バックパッカーたるもの歩かんでどうする。
さっそく第一ワンダー発見。
量で勝負も悪くない。
「大きく育て」というよりも「たくさん育て」。この時世ならではなんだろうな。うん。
そんなこんなでテクテク歩いていると早速職務質問。グヘ。
「入山届けは必ず出してネ」とさわやかな笑顔に見送られつつ、先を目指すのでした。
そうだ、今回はあの山を目指すのだ!
確かに届けは出しといた方が良さそうだ・・・ある意味。
古き良き日本の原風景の中を歩いていたが、5月の陽気とは思えない灼熱の太陽とアスファルトの照り返しがキツく、ついつい楽がしたくなって列車に乗った。
←走れ走れー!
そして誰も知らない秘密のサンクチュアリに到着。
そしてあの山・・・戯山氏とも無事合流、後からやってきたガールズとも合流を果たしたのである。
つづく
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2009年03月17日
島流しレポ
折からの強風&高波で出航さえ危ぶまれた今回の旅も、奇跡的な天気の回復で楽しむコトができました。23:30、横浜大桟橋から出航した船に揺られるコト約10時間、やっとこさ伊豆諸島は神津島に到着。
船底に近い2等船室は薄暗く、すぐ横で寝ているオッサンのイビキに殺意を抱きながらの船旅、でもこの景色を一目見たら今までの苦難は全部許せちゃう。

・・・っていうくらいテンションが上がってしまうのは仕方ないワケで。

港(多幸湾)を海岸沿いに歩くと・・・・

水がドバドバ。
この神津島、名水地としても有名な場所なのでございます。
恐らくはここの上にそびえる天上山が巨大な濾過装置の役割をしてるんじゃないかな。と、思ったり。
夜通し船に揺られ、船酔いしかけたワタクシには願ってもない特効薬。
グビグビグビ・・・・プハーッ!生き返った。見も心もリフレッシュ。
そしてこの水をボトルに入れて、目指したるはあのお山!

船底に近い2等船室は薄暗く、すぐ横で寝ているオッサンのイビキに殺意を抱きながらの船旅、でもこの景色を一目見たら今までの苦難は全部許せちゃう。
空の色が映る透明な海と~♪
真っ白な砂がまぶしいこんなビーチで~♪
ビキニのあの娘のケツを追っかけまわしたい~♪
ベイベー!
真っ白な砂がまぶしいこんなビーチで~♪
ビキニのあの娘のケツを追っかけまわしたい~♪
ベイベー!
・・・っていうくらいテンションが上がってしまうのは仕方ないワケで。
港(多幸湾)を海岸沿いに歩くと・・・・
水がドバドバ。
この神津島、名水地としても有名な場所なのでございます。
恐らくはここの上にそびえる天上山が巨大な濾過装置の役割をしてるんじゃないかな。と、思ったり。
夜通し船に揺られ、船酔いしかけたワタクシには願ってもない特効薬。
グビグビグビ・・・・プハーッ!生き返った。見も心もリフレッシュ。
そしてこの水をボトルに入れて、目指したるはあのお山!
天上山。
つづく
2009年01月13日
旅行記 最終回
旅は道連れ世は情け
九州の地を踏んでから福岡、大分、宮崎、熊本、鹿児島と渡り歩き、再び福岡に戻ってきました。
まだまだ行きたい場所はあったんだけれど、そのころにはもう旅資金が底をつきはじめたので、これからは帰路を辿ることにしました。
そして再びダチんこのメグと再会、メグ家で一晩世話になりました。
さてさてどーやって帰るか・・・
するとメグが東京で仕事が入ったらしいので、ここから先、東京まではメグと同行するコトに。
そして作戦会議。。。
ただ飛行機や新幹線で移動するのはなんだか味気ない。
と、いうコトでいろいろ考えた結果、福岡→東京までは船で移動するコトになりました。
そして翌日、門司港へ。
久しぶりに見る『東京』の文字。
あんなに嫌いだった東京がなんだか懐かしく感じる(そんな長期間でもないのに)のと同時に、『もう帰ってしまうのか』というチョイ寂しい感じ。
で、早速乗船!
船首のハッチがグワングワングワンって閉まる。(波動砲の発射テスト)
そしてついに出港!ヨ~ソロ~!

んー。たまには優雅な船旅ってのもいいモンですタイ!
などと言いつつ、余裕でビールを飲んでたりしてたんですが、外海に出るなり大時化。
酔っ払ってもいないのに千鳥足でした。
船内には展望露天風呂があり、月が海面に反射していい感じ。なんだけど大時化故に風呂に入っててもぐらんぐらん揺れてるワケで、風呂から出る頃には浴槽のお湯が半分くらいになってました。
そして翌朝・・・
起きた頃には時化は治まり、静かな海。そして・・・

360°見渡しても水平線と空しかない空間の中、だんだん色がついてきて、だんだんお天道様が現れる。
めちゃんこシンプルなんだけど、めちゃんこピュアでめちゃんこパワフルな画ナリ。
日が高く登ったあたりで徳島に寄港。
そこから東京までは穏やかな海で快適な船旅でした。
九州(門司)→東京までの所要時間は約30時間。
飛行機や新幹線といった高速移動手段を使わない、徒歩、鈍行、船の旅。
同じ目的地を目指すにも、途中の景色がゆっくりと流れたり、その場所の空気を吸ったり、人の声を聞いたり・・・と、感じるモノは多い。と、いうかそれこそが旅の魅力なんかなーと、思ったり。
まぁ、超絶ヒマジンなワタクシだからこんな旅ができるのかも知れませんが、カネをかけるのも贅沢なんだけど時間をかけるのも贅沢なコトなのかもしれませんな。
さてさて次はどこに行こうか・・・・と、考え中。
九州の地を踏んでから福岡、大分、宮崎、熊本、鹿児島と渡り歩き、再び福岡に戻ってきました。
まだまだ行きたい場所はあったんだけれど、そのころにはもう旅資金が底をつきはじめたので、これからは帰路を辿ることにしました。
そして再びダチんこのメグと再会、メグ家で一晩世話になりました。
さてさてどーやって帰るか・・・
するとメグが東京で仕事が入ったらしいので、ここから先、東京まではメグと同行するコトに。
そして作戦会議。。。
ただ飛行機や新幹線で移動するのはなんだか味気ない。
と、いうコトでいろいろ考えた結果、福岡→東京までは船で移動するコトになりました。
そして翌日、門司港へ。
あんなに嫌いだった東京がなんだか懐かしく感じる(そんな長期間でもないのに)のと同時に、『もう帰ってしまうのか』というチョイ寂しい感じ。
で、早速乗船!
そしてついに出港!ヨ~ソロ~!
さらば九州!
んー。たまには優雅な船旅ってのもいいモンですタイ!
などと言いつつ、余裕でビールを飲んでたりしてたんですが、外海に出るなり大時化。
酔っ払ってもいないのに千鳥足でした。
船内には展望露天風呂があり、月が海面に反射していい感じ。なんだけど大時化故に風呂に入っててもぐらんぐらん揺れてるワケで、風呂から出る頃には浴槽のお湯が半分くらいになってました。
そして翌朝・・・
起きた頃には時化は治まり、静かな海。そして・・・
ご来光~♪
360°見渡しても水平線と空しかない空間の中、だんだん色がついてきて、だんだんお天道様が現れる。
めちゃんこシンプルなんだけど、めちゃんこピュアでめちゃんこパワフルな画ナリ。
日が高く登ったあたりで徳島に寄港。
そこから東京までは穏やかな海で快適な船旅でした。
九州(門司)→東京までの所要時間は約30時間。
飛行機や新幹線といった高速移動手段を使わない、徒歩、鈍行、船の旅。
同じ目的地を目指すにも、途中の景色がゆっくりと流れたり、その場所の空気を吸ったり、人の声を聞いたり・・・と、感じるモノは多い。と、いうかそれこそが旅の魅力なんかなーと、思ったり。
まぁ、超絶ヒマジンなワタクシだからこんな旅ができるのかも知れませんが、カネをかけるのも贅沢なんだけど時間をかけるのも贅沢なコトなのかもしれませんな。
さてさて次はどこに行こうか・・・・と、考え中。
おしまい
2009年01月10日
旅行記 その12
なんとなく九州一周
熊本は人吉を経て、霧島連山を眺めながら鹿児島方面へ。
途中の吉松駅で下車。するとこんげなモンを発見!

チョイと鉄分濃いめなワタクシは一気にテンションup!
しかも運転席に入れるんです。
計器類やバルブ、レバー類まですべて本物、当時のまま。
時間を忘れ、人目も気にせずガチャコン!ガチャコン!出発進行~♪と、遊ぶ。
で、釜も開いちゃうワケでして・・・・・あ、SLの釜の中、見たコトあります?
←こん中、どーなってるか、気になりません?
ではでは、お見せしちゃいましょう。男なら一度は見てみたい秘密の花園シリーズ!
レッツらドーン☆

ったくよー。
ちと、ガッカリ。なんだけども、秘密の花園が見れてちっと嬉しい。
あと駅の並びに『鉄道資料館』なるものがありまして、見学。
SL全盛だった時代の遺物や鉄道模型がありました。衝撃だったのはやはり戦争にまつわる逸話というか、悲劇が書かれておりまして、それ読んだらなんだかちょっと重たくなりました。ハイ。
今回の旅は、行く先々でかつての戦争にまつわる出来事が多かったのが印象的でした。
呉の港でじーさまがいろいろ説明してくれたコト、終戦直後に瀬戸内海で機雷がプカプカ浮いて小学生が犠牲になったコト・・・・・などなど。
いろいろ考えさせられる旅でもありました。
そして霧島を抜け、鹿児島へ。
←いかにも鹿児島チック。
ちなみに丸に十字の紋は、薩摩の大名、島津家の家紋。
さぞかしここらへんの男子はいかにも九州男児でまゆ毛が四角いんだろーなーと、思いきや行き交う高校生のまゆ毛はめちゃんこ細かったです。
そしてまた鈍行に乗り込み移動開始。

今回、遠目からでしか見るコトができませんでしたが、生で見る桜島は圧倒的存在感というか、めちゃんこパワフルに鎮座しておられました。
そんな桜島に別れを告げ、九州大陸を北上、再び福岡を目指すのでありました。
熊本は人吉を経て、霧島連山を眺めながら鹿児島方面へ。
途中の吉松駅で下車。するとこんげなモンを発見!
SL(C55型)
チョイと鉄分濃いめなワタクシは一気にテンションup!
しかも運転席に入れるんです。
時間を忘れ、人目も気にせずガチャコン!ガチャコン!出発進行~♪と、遊ぶ。
で、釜も開いちゃうワケでして・・・・・あ、SLの釜の中、見たコトあります?
ではでは、お見せしちゃいましょう。男なら一度は見てみたい秘密の花園シリーズ!
レッツらドーン☆
ゴミ捨てんじゃねぇよ!
ったくよー。
ちと、ガッカリ。なんだけども、秘密の花園が見れてちっと嬉しい。
あと駅の並びに『鉄道資料館』なるものがありまして、見学。
SL全盛だった時代の遺物や鉄道模型がありました。衝撃だったのはやはり戦争にまつわる逸話というか、悲劇が書かれておりまして、それ読んだらなんだかちょっと重たくなりました。ハイ。
今回の旅は、行く先々でかつての戦争にまつわる出来事が多かったのが印象的でした。
呉の港でじーさまがいろいろ説明してくれたコト、終戦直後に瀬戸内海で機雷がプカプカ浮いて小学生が犠牲になったコト・・・・・などなど。
いろいろ考えさせられる旅でもありました。
そして霧島を抜け、鹿児島へ。
ちなみに丸に十字の紋は、薩摩の大名、島津家の家紋。
さぞかしここらへんの男子はいかにも九州男児でまゆ毛が四角いんだろーなーと、思いきや行き交う高校生のまゆ毛はめちゃんこ細かったです。
そしてまた鈍行に乗り込み移動開始。
桜島がドーン!!
今回、遠目からでしか見るコトができませんでしたが、生で見る桜島は圧倒的存在感というか、めちゃんこパワフルに鎮座しておられました。
そんな桜島に別れを告げ、九州大陸を北上、再び福岡を目指すのでありました。
次回、最終回
2009年01月07日
旅行記 その11
その名は『青井さん』
宮崎は高千穂をプラプラした後、熊本入り。
途中下車こそがワタクシの旅の真髄でして、人吉で途中下車。
街中をプラプラ歩き、歩き疲れたところでコレ、発見。


通称:青井さん。人吉駅から歩いて10分くらいの、茅葺屋根の神社。
建立から1200年というとっても長い歴史なのであります。最近、国宝になったらしい。
←入り口の鳥居をくぐると・・・
←御鶏様が昼寝中でした。
←立派な門をくぐり・・・
←本堂へ。
なけなしの財布の中から「チャリーン☆」とお賽銭を投げて、ジャラジャラしてパンパン。
初詣だけ行って、一方的に願い事だけしてあと知らん顔ってのは、ムシのいい話でして、
「この一年、何事もなく(いろいろあったが・・・)無事に過ごせましたー」と、ご報告。
で、ワタクシの大好きな休憩。
クソ重たいザックを降ろして、ベンチに座って、一考。
世界遺産だとか、国宝だとか、いろいろあるけど、それに指定されてるのは表面的な建築物や景観だけで、指定されたコトによってそれを取り巻く人々の暮らしとか、昔から受け継がれてきた生活のサイクルはあんまり大切に思われてないんじゃないか?と、思ったり。
しかしながら、少子高齢化→過疎化が進む地域では、何かを遺すためには止むを得ないのか?とも、思ったり。
その点、この青井さんは『この地域あっての、この神社』って感じの自然な佇まいで、居心地が良かったなー。
日も傾いてきたし、そろそろ移動しますかー。
宮崎は高千穂をプラプラした後、熊本入り。
途中下車こそがワタクシの旅の真髄でして、人吉で途中下車。
街中をプラプラ歩き、歩き疲れたところでコレ、発見。
国宝 青井阿蘇神社
通称:青井さん。人吉駅から歩いて10分くらいの、茅葺屋根の神社。
建立から1200年というとっても長い歴史なのであります。最近、国宝になったらしい。
なけなしの財布の中から「チャリーン☆」とお賽銭を投げて、ジャラジャラしてパンパン。
初詣だけ行って、一方的に願い事だけしてあと知らん顔ってのは、ムシのいい話でして、
「この一年、何事もなく(いろいろあったが・・・)無事に過ごせましたー」と、ご報告。
で、ワタクシの大好きな休憩。
クソ重たいザックを降ろして、ベンチに座って、一考。
世界遺産だとか、国宝だとか、いろいろあるけど、それに指定されてるのは表面的な建築物や景観だけで、指定されたコトによってそれを取り巻く人々の暮らしとか、昔から受け継がれてきた生活のサイクルはあんまり大切に思われてないんじゃないか?と、思ったり。
しかしながら、少子高齢化→過疎化が進む地域では、何かを遺すためには止むを得ないのか?とも、思ったり。
その点、この青井さんは『この地域あっての、この神社』って感じの自然な佇まいで、居心地が良かったなー。
もうちっと、続く。
2009年01月05日
旅行記 その10
パワースポットはギブ&テイク
大分は臼杵を後にし、ついに宮崎入り。
このへんまで来ると、植物が南国チックになってくる。
で、チョイと気になる場所があったので行ってみた。

むかーしむかし、神さんがこの地に降り立った場所。らしい。
よくテレビでスピリチュアルなんたら言うオッサンが、パワースポットがあーだこーだって喋ってるから、さぞかし観光客がごったがえしてるんだろーなーと思ってたんだけど、観光客はあまりいませんでした。
テクテク散策開始。
←鬼八の力石。(約200トン)
コリはむかーしむかし、この高千穂一帯で悪さばかりしてた鬼くんが、ブン投げたんだとか。
オーバースローだったか、アンダースローだったかは不明。
そして人気のないトコでコーヒーブレイク。
←崖の上からやっほ~。
見たい場所はいっぱいあったのに、途中で腰を『ギクッ!』とやってしまって断念。
20kgのザックを背負っての腰痛はかなりしんどい。
←高千穂神社で休憩。
ワタクシにとって神社はなかなか落ち着く場所でして、緑を浴びながらうつらうつら。
夕方になってヨッコラドッコイセー!ってまた歩き始める。
途中行き交う中学生とか子供達が「こんにちはー。」と挨拶してくれるので、ワタクシも「こんちわー」と返す。
別に知り合いでもないし、ここが登山道なワケでもない。ただ自然に「こんにちは。」というギブ&テイクが、めちゃんこ新鮮。且つ嬉しい。なるほど、人が、パワースポットなり。
「こんなニッポンが、えぇなー。」と素直に思ったり。
あ、そうそう、途中で
宮崎牛くんがドナドナされてました。
まぁ、今年の干支ってコトで。
大分は臼杵を後にし、ついに宮崎入り。
このへんまで来ると、植物が南国チックになってくる。
で、チョイと気になる場所があったので行ってみた。
高千穂峡
むかーしむかし、神さんがこの地に降り立った場所。らしい。
よくテレビでスピリチュアルなんたら言うオッサンが、パワースポットがあーだこーだって喋ってるから、さぞかし観光客がごったがえしてるんだろーなーと思ってたんだけど、観光客はあまりいませんでした。
テクテク散策開始。
コリはむかーしむかし、この高千穂一帯で悪さばかりしてた鬼くんが、ブン投げたんだとか。
オーバースローだったか、アンダースローだったかは不明。
そして人気のないトコでコーヒーブレイク。
見たい場所はいっぱいあったのに、途中で腰を『ギクッ!』とやってしまって断念。
20kgのザックを背負っての腰痛はかなりしんどい。
ワタクシにとって神社はなかなか落ち着く場所でして、緑を浴びながらうつらうつら。
夕方になってヨッコラドッコイセー!ってまた歩き始める。
途中行き交う中学生とか子供達が「こんにちはー。」と挨拶してくれるので、ワタクシも「こんちわー」と返す。
別に知り合いでもないし、ここが登山道なワケでもない。ただ自然に「こんにちは。」というギブ&テイクが、めちゃんこ新鮮。且つ嬉しい。なるほど、人が、パワースポットなり。
「こんなニッポンが、えぇなー。」と素直に思ったり。
あ、そうそう、途中で
まぁ、今年の干支ってコトで。
つづく。
2008年12月30日
旅行記 その9
おテテのシワを合わせてタイムスリップトリップ
えぇーっと、どこまで行ったっけ・・・
あ、そうそう、あのあと小倉で妖怪人間メグと別れ、翌朝からまた移動。
日豊本線で大分は臼杵(うすき)に辿り着きました。
ワタクシ、この臼杵は二度目。
如何にも『観光地!』っていうんじゃなくて、リアルタイムで人々の営みが感じられる静かな城下町。
小ぢんまりとしてて、個人的に居心地のいい町なのであります。
で、この臼杵に来て忘れちゃいかんのがコリ。

丘陵の岩盤をくり貫いて作られた磨崖仏。
平安時代後期~鎌倉時代の作といわれており、仏像の下半身が削られているのは、約1000年の時を経て雨や風が浸食した痕なんだとか。
←こんな山道をテクテク歩く
←何十体もの仏さんが迎えてくれます。
一通り手を合わせてなーむー。
ここは1000年前から変わらない空気と、時間が一定にゆっくりと流れてんだろうな。
←周りの景色はこんな感じ。
古き良き、ニッポンの原風景ナリ!
ここの仏さん達は1000年もの間、この風景と人々の暮らしを見守ってきたワケであります。
この日は小雨。ポツポツと水滴が傘を叩く音がこの色の風景とシンクロして、小一時間、時間が止まってトリップ。
あ、ちなみにこんなんもありました。
←世界一デカい木樽。(ギネス認定)
高さが9m、中身は醤油が満タン。
えぇーっと、どこまで行ったっけ・・・
あ、そうそう、あのあと小倉で妖怪人間メグと別れ、翌朝からまた移動。
日豊本線で大分は臼杵(うすき)に辿り着きました。
ワタクシ、この臼杵は二度目。
如何にも『観光地!』っていうんじゃなくて、リアルタイムで人々の営みが感じられる静かな城下町。
小ぢんまりとしてて、個人的に居心地のいい町なのであります。
で、この臼杵に来て忘れちゃいかんのがコリ。
臼杵石仏
丘陵の岩盤をくり貫いて作られた磨崖仏。
平安時代後期~鎌倉時代の作といわれており、仏像の下半身が削られているのは、約1000年の時を経て雨や風が浸食した痕なんだとか。
一通り手を合わせてなーむー。
ここは1000年前から変わらない空気と、時間が一定にゆっくりと流れてんだろうな。
古き良き、ニッポンの原風景ナリ!
ここの仏さん達は1000年もの間、この風景と人々の暮らしを見守ってきたワケであります。
この日は小雨。ポツポツと水滴が傘を叩く音がこの色の風景とシンクロして、小一時間、時間が止まってトリップ。
あ、ちなみにこんなんもありました。
高さが9m、中身は醤油が満タン。
つづく。
2008年12月26日
旅行記 その8
途中、寝過ごして岡山まで戻ってきてしもた。
仕方ないので寝床を探し、岡山市街をフラフラ、フラリ。
下調べをして行けば、もっと目ぼしいモンも見つかるとは思うんだが、コレといってなし。
っていうか、なんだかガラが悪い。
ので、倉敷まで移動。安宿ゲット。
ビール飲みながらテレビ見てゴロゴロしてると、同じく旅中の福岡のダチんこの妖怪人間メグから電話があった。
「これから夜行列車で福岡戻るじぇ。」との事。
ワタクシもこれから山陽本線で九州を目指すワケで、福岡あたりに到着したら合流するコトになりました。
そして翌朝。というか、まだ夜中。
始発の電車に乗り込み、一路九州へレッツらドーン☆
←鈍行でガタンゴトンイヤンバカン♪
九州、門司に着いたのは午後2時くらい。
朝5時に出発して、約9時間の鈍行の旅。あーよく寝た。
そして門司港にて妖怪人間メグと何年ぶりかの再会。
とりあえずメシ喰おう。と、案内される。
←これで行くらしい。
←関門海峡全景。
・・・・と、いうコトは。

さらば九州!
で、着いたのは・・・・

市場内でいろいろ買い物。
で、とりあえず・・・・

←寿司、一貫100円ナリ。
ワタクシ、寿司ってどーも苦手なんですが、ここのはウマかったっす。
フライは、フグのフライ。350円。
ちなみにこの関門海峡、なかなか活気が溢れるトコでした。
漁船だの貨物船だのがひっきりなしに行き交う。
あ、そうそう、かつてアントニオ猪木VSマサ斉藤が決闘した事で有名な巌流島はここから船で行かれます。
仕方ないので寝床を探し、岡山市街をフラフラ、フラリ。
下調べをして行けば、もっと目ぼしいモンも見つかるとは思うんだが、コレといってなし。
っていうか、なんだかガラが悪い。
ので、倉敷まで移動。安宿ゲット。
ビール飲みながらテレビ見てゴロゴロしてると、同じく旅中の福岡のダチんこの妖怪人間メグから電話があった。
「これから夜行列車で福岡戻るじぇ。」との事。
ワタクシもこれから山陽本線で九州を目指すワケで、福岡あたりに到着したら合流するコトになりました。
そして翌朝。というか、まだ夜中。
始発の電車に乗り込み、一路九州へレッツらドーン☆
九州、門司に着いたのは午後2時くらい。
ついに九州上陸!
朝5時に出発して、約9時間の鈍行の旅。あーよく寝た。
そして門司港にて妖怪人間メグと何年ぶりかの再会。
とりあえずメシ喰おう。と、案内される。
・・・・と、いうコトは。
本州に強制送還!
さらば九州!
で、着いたのは・・・・
唐戸市場。
市場内でいろいろ買い物。
で、とりあえず・・・・
パンカ~イ♪
ワタクシ、寿司ってどーも苦手なんですが、ここのはウマかったっす。
フライは、フグのフライ。350円。
ちなみにこの関門海峡、なかなか活気が溢れるトコでした。
漁船だの貨物船だのがひっきりなしに行き交う。
あ、そうそう、かつてアントニオ猪木VSマサ斉藤が決闘した事で有名な巌流島はここから船で行かれます。
つづく。
2008年12月25日
旅行記 その7
そして朝。
くぇーっ、くぇーっと海鳥が鳴き、ポンポンと漁船が行き交う音で目覚める。
すっかり、朝。
岬というコトもあり『日の出を拝んでやろうではないか!』と気合十分で早めに寝たはいいが、暖かいのと芝生が気持ちいいので勢いあまって爆睡。起きたらすっかり日が登りきってました。
水を汲んでコーヒーを淹れて飲む。さてさて今日はドコに行こうか・・・・・と。
ぼけーっとそんなコトを考えながらも、犬の散歩中の人や、通学途中の子供が目の前の行き交うその光景が、妙におもろい。
そこに普段通りの生活の営みと、旅という非現実が入り交ざって、そこにある現実。
まぁ、お遍路さんの地じゃなかったら、ワタクシはただの怪しいオサンで即、職質なんだろーな。と、思ったり。
今でも十分怪しいけんど。
フライシートを乾かしつつ、コーヒー飲みながら今後の予定を脳ミソに描き始める。
そろそろ九州に上陸しようか
というワケで九州に行き先を絞る。
フツーだったら飛行機だの新幹線での移動が主流。
でもそんな便利道具を使ってしまったら、つまんないのであります!エキゾチック・ジャパンじゃないのであります!
このちんこい日本の国土を、もったいぶってゆっくりと移動せねば、本当の日本の姿は見えんのであります!
あと・・・・カネはないけど、時間ならあるのだす!
てなもんで、四万十川を遡るように、バス、鈍行を乗り継ぎ、高知へ戻り、さらに移動。
途中、立ち寄った自然まみれスポット。
大歩危
ちなみに『おおぼけ』と読みます。次の駅は小歩危(こぼけ)でした。
『超大歩危』とか『ナイス歩危』とかだったら、おもろかったのに・・・・・
でもってこんなナイスな渓谷が延々と続きます。
近くに『祖谷のかずら橋』って名所があるらしいんですが、発見できず。残念。
再び鈍行に乗り込み、移動開始・・・・・・すると!
途中の駅でその『祖谷のかずら橋』の複製を発見!
ハイ、無理。
ふぅ~。
で、しばらく移動の後、讃岐うどんを食ってない事に気づき高松に寄ろうと思いました。
高松の駅の立ち食いそば屋のうどんは、めちゃんこうまいんですよ。これオススメ。
過去に二度、四国に行ったコトあるんですが、必ずそのうどんを食ってます。
でもまだ乗り換えまで時間あるし、ちょっと寝ようとコックリ、コックリ。
起きたら、岡山でした。
つづく。
2008年12月24日
旅行記 その6
なんだかとってもお変路さん。
朝イチで高知を出て、足摺に着いたのは夕方。
←四国最南端。
クソ重たいザックを放り投げ、しばし海を眺めつつ、ぽけーっと過ごす。
『最○端』っていう標を見ると「あ~なんとなくこんなトコまで来ちゃった~」って感じになり、人肌恋しくなったような、ならないような。遠い目。
で、日が暮れないうちに足摺岬を探索&寝床探し。

もっと近くで見てみる。
なんだか、ものすごく白いです。灯台。
そんな感心してるヒマはなく、明るいうちに今日の寝床も探さにゃならん。
そのへんをグルグル歩くんだけど、鬱蒼と生い茂る木々でどこもイマイチ。結局、灯台があったトコまで戻ってきて、ふと気がつく。

そこは公園っぽくなっていて、人気も少なく、土も軟らかく、水場も完備。
ワタクシに「キャンプしてくれ!」と言わんばかりのフィールドでした。
「ヨッコラドッコイセェー!」とザックを降ろしてガサゴソ準備をしてると、どこからともなく地元のじーさまが現れ、「ここはイノシシがようおるけん、やめときぃ」言われました。
そのじーさまの話では、最近イノシシの数が増え、キャンプ中のお遍路さんが襲われて怪我をするという事故がけっこうあるらしいのです。
←ほんまや。
で、そんな事故が起こらないようにお役所の方から注意を促すよう言われてるんだとか。
巡礼中にも関わらず、難儀なハナシじゃ。
そんでそのじーさまに「ここならキャンプしてもえぇよ」ポイントを教えてもらい、撤収、移動。
しかしこんな冬にキャンプする人は未だかつていないらしい。
と、心の中で言ってみる。
途中ばーさまに道を聞いたら、「帰り道が同じなので一緒に行く」との事。
旅は道連れ、世は情け。ばーさまと足摺デート。
30分くらいデートして、連れて来られたのはだだっ広い芝生の公園。
ベンチ以外なにもない場所、水道、トイレ完備。文句ナシ。
←ちょっと、ポツーン感。
←ポツーンと、体育座り。
やがて日も暮れ、灯台の明かりが断続的にフィールドを照らしてくれる。
この日は確かふたご座流星群が見ごろだったんだけど、満月ゆえか、確認できず。
空が抜けてるから、さぞかし寒いんだろーなーと思ってたんだけど、やたらと暖かく
Fusion2とダウンハガー#1という完全冬装備だと暑いくらいでした。
朝イチで高知を出て、足摺に着いたのは夕方。
クソ重たいザックを放り投げ、しばし海を眺めつつ、ぽけーっと過ごす。
『最○端』っていう標を見ると「あ~なんとなくこんなトコまで来ちゃった~」って感じになり、人肌恋しくなったような、ならないような。遠い目。
で、日が暮れないうちに足摺岬を探索&寝床探し。
あ、灯台だ。
なんだか、ものすごく白いです。灯台。
そんな感心してるヒマはなく、明るいうちに今日の寝床も探さにゃならん。
そのへんをグルグル歩くんだけど、鬱蒼と生い茂る木々でどこもイマイチ。結局、灯台があったトコまで戻ってきて、ふと気がつく。
灯台下暗し。
そこは公園っぽくなっていて、人気も少なく、土も軟らかく、水場も完備。
ワタクシに「キャンプしてくれ!」と言わんばかりのフィールドでした。
「ヨッコラドッコイセェー!」とザックを降ろしてガサゴソ準備をしてると、どこからともなく地元のじーさまが現れ、「ここはイノシシがようおるけん、やめときぃ」言われました。
そのじーさまの話では、最近イノシシの数が増え、キャンプ中のお遍路さんが襲われて怪我をするという事故がけっこうあるらしいのです。
で、そんな事故が起こらないようにお役所の方から注意を促すよう言われてるんだとか。
巡礼中にも関わらず、難儀なハナシじゃ。
そんでそのじーさまに「ここならキャンプしてもえぇよ」ポイントを教えてもらい、撤収、移動。
しかしこんな冬にキャンプする人は未だかつていないらしい。
フッフッフッ、放置民をナメたらイカンぜよ。
と、心の中で言ってみる。
途中ばーさまに道を聞いたら、「帰り道が同じなので一緒に行く」との事。
旅は道連れ、世は情け。ばーさまと足摺デート。
30分くらいデートして、連れて来られたのはだだっ広い芝生の公園。
ベンチ以外なにもない場所、水道、トイレ完備。文句ナシ。
やがて日も暮れ、灯台の明かりが断続的にフィールドを照らしてくれる。
この日は確かふたご座流星群が見ごろだったんだけど、満月ゆえか、確認できず。
空が抜けてるから、さぞかし寒いんだろーなーと思ってたんだけど、やたらと暖かく
Fusion2とダウンハガー#1という完全冬装備だと暑いくらいでした。
つづく。
2008年12月23日
旅行記 その5
四国編
フェリーで呉の港を離れ、瀬戸内海をどんぶらこ、約2時間。四国の地を踏む。

松山駅かと思ったら、違ってました。

高浜駅から、この電車に乗って30分くらい・・・・

さてさて、これからどうしようか・・・・
と、思ってたらデジカメくんの調子が悪い。「ピ?ピピ・・・・・・・・・」「・・・・・・。」
どうやら電池切れ。んー。携帯の電池もヤバいし、今日はどっかで宿をとって充電DAYにしよう。
で、テキトーに電車とバスを乗り継ぎ、高知に入って安宿で一泊。
そして翌朝。。。

ワンマンの機動車に乗って四国最南端、足摺岬へレッツらドーン☆
午前中には着くかな・・・・と、思ってたんですが、考えが甘かった。
鈍行でエッチラオッチラ窪川まで。
←窪川。
そこから土佐くろしお鉄道で中村までエッチラオッチラ。
中村からバスに揺られること約2時間チョイ。

ふぅ~やっとこさ着いたじぇ・・・。
この時の記事はコチラ。←リンク。
フェリーで呉の港を離れ、瀬戸内海をどんぶらこ、約2時間。四国の地を踏む。
松山駅かと思ったら、違ってました。
高浜駅から、この電車に乗って30分くらい・・・・
松山駅に到着。
さてさて、これからどうしようか・・・・
と、思ってたらデジカメくんの調子が悪い。「ピ?ピピ・・・・・・・・・」「・・・・・・。」
どうやら電池切れ。んー。携帯の電池もヤバいし、今日はどっかで宿をとって充電DAYにしよう。
で、テキトーに電車とバスを乗り継ぎ、高知に入って安宿で一泊。
そして翌朝。。。
ワンマンの機動車に乗って四国最南端、足摺岬へレッツらドーン☆
午前中には着くかな・・・・と、思ってたんですが、考えが甘かった。
鈍行でエッチラオッチラ窪川まで。
そこから土佐くろしお鉄道で中村までエッチラオッチラ。
中村からバスに揺られること約2時間チョイ。
足摺岬に到着。
ふぅ~やっとこさ着いたじぇ・・・。
この時の記事はコチラ。←リンク。
つづく。
2008年12月22日
旅行記 その4
JR西日本が誇る最強列車『新快速』に乗り込み、一路京都へ。
米原から乗ってきた、これでもか!と言わんばかりの大阪のオバチャンと会話しつつ、気がつけばもう京都。
(ワタクシの脳の言語野の順応性はすばらしく、この頃からなんとなく関西ネイティブ発音。)
京都の街をフラフラしようと思ったんですが、ものすごく人があふれていて、やんなっちゃったので次にきた新快速の姫路行きに乗る。姫路から鈍行を乗り継ぎ広島に着いた頃にはもう夜。

ヤンキーの聖地。
安宿を探し出し、一泊。
そして翌朝・・・・。
ちょいと行ってみたい場所があったので、呉へ。

くれ。
なんか、広島って二文字の地名が多いような気がする。
その呉で見たかったのは・・・
が、この日はたまたま休館日。とほほ。
はるばる横浜から来たのによぉ・・・チッ。とか言ってトボトボ歩いてると、

こんな潜水艦が見られるとは・・・


間近で見る。魚雷の発射管らしきものも確認。
でもって大和ミュージアムがどーしても気になるので、裏手に回りこんでみた。

ガラス越しに、戦艦大和の模型、発見。
いろいろ目を凝らして覗きこんでたら、とてつもないものを発見。
回天とは・・・
大型の魚雷を改造し、人間が操縦して敵艦に体当たりするという大戦中の特攻兵器。
天を回らして戦況を一変させる・・・という意味らしく、パイロットは10代~20代の若者だったと言われている。

これが、回天。
なんというか、そこだけいろんな念が凝縮されて、金属だけじゃない『ヒンヤリ感』がしてました。
そんなこんなでいろいろ見てたら、地元のじーさまに声をかけられました。
「はるばる東京から来たのに、休館日なんてかわいそうだからワシが全部教えてやる!」との事。
で、小一時間、当時の戦争の話やら戦艦大和に関する話とか、めちゃんこ貴重なことを聞かせてもらいました。

ちなみにこの写真の、クレーンが並んでるトコの真ん中に薄い緑色の工場みたいな巨大な建物があるんですが、実はこの建物の中で戦艦大和が建造されたらしいです。(じーさま談)
そしてまた移動開始。

呉からは松山行きの船が出てるので、それに乗って四国へレッツらドーン☆
米原から乗ってきた、これでもか!と言わんばかりの大阪のオバチャンと会話しつつ、気がつけばもう京都。
(ワタクシの脳の言語野の順応性はすばらしく、この頃からなんとなく関西ネイティブ発音。)
京都の街をフラフラしようと思ったんですが、ものすごく人があふれていて、やんなっちゃったので次にきた新快速の姫路行きに乗る。姫路から鈍行を乗り継ぎ広島に着いた頃にはもう夜。
ヤンキーの聖地。
安宿を探し出し、一泊。
そして翌朝・・・・。
ちょいと行ってみたい場所があったので、呉へ。
くれ。
なんか、広島って二文字の地名が多いような気がする。
その呉で見たかったのは・・・
大和ミュージアム。
が、この日はたまたま休館日。とほほ。
はるばる横浜から来たのによぉ・・・チッ。とか言ってトボトボ歩いてると、
おぉ、すげぇ!
こんな潜水艦が見られるとは・・・
間近で見る。魚雷の発射管らしきものも確認。
でもって大和ミュージアムがどーしても気になるので、裏手に回りこんでみた。
ガラス越しに、戦艦大和の模型、発見。
いろいろ目を凝らして覗きこんでたら、とてつもないものを発見。
人間魚雷 回天
回天とは・・・
大型の魚雷を改造し、人間が操縦して敵艦に体当たりするという大戦中の特攻兵器。
天を回らして戦況を一変させる・・・という意味らしく、パイロットは10代~20代の若者だったと言われている。

これが、回天。
なんというか、そこだけいろんな念が凝縮されて、金属だけじゃない『ヒンヤリ感』がしてました。
そんなこんなでいろいろ見てたら、地元のじーさまに声をかけられました。
「はるばる東京から来たのに、休館日なんてかわいそうだからワシが全部教えてやる!」との事。
で、小一時間、当時の戦争の話やら戦艦大和に関する話とか、めちゃんこ貴重なことを聞かせてもらいました。
ちなみにこの写真の、クレーンが並んでるトコの真ん中に薄い緑色の工場みたいな巨大な建物があるんですが、実はこの建物の中で戦艦大和が建造されたらしいです。(じーさま談)
そしてまた移動開始。
呉からは松山行きの船が出てるので、それに乗って四国へレッツらドーン☆
まだまだつづく。